■ 注目の研究者
東京大学 大学院情報理工学系研究科 五十嵐健夫助教授 かわいいクマのぬいぐるみやゴジラの模型が、電気製品のリモコンとして機能することを想像してみてください。ぬいぐるみのやわらかい手を振るとテレビのチャンネルが変わったり、ゴジラをポンと放り投げるとインターネットの音楽がカントリーソングからロックに変わったり、しっぽをねじると部屋の明かりを調節できたり、おなかを押すとヒーターが点いたり。遠い未来のお話のように思うかもしれませんが、実はあなたが思っている以上に早く実現する日が来るかもしれません。
 東京大学大学院情報理工学系研究科の五十嵐健夫助教授は、クマのぬいぐるみを熱心に振りながら、それがどういう仕組みでテレビやコンピュータ、照明、エアコンなどの電気製品のリモコンとして使えるのか説明してくれました。「私たちは、ぬいぐるみのように日常の中にあるものを使い、特別な装置もつけることなしに、コンピュータ機器を身振りで遠隔から制御できるような技術を開発しています。例えば、リビングにある電気製品それぞれにカメラと処理装置をつけ、コンピュータによる視覚技術を備えた試作システムを開発しました」
クマのぬいぐるみをリモコンとして使う
■ 日本の大学機関との橋渡し
  マイクロソフト産学連携研究機関 (IJARC) は、マイクロソフトリサーチ (MSR) (※1) アジアと日本の大学、研究機関との相互交流を深めることを目的に、2005 年 7 月に設立されました。五十嵐助教授は、先の玩具をリモコンに利用する技術をはじめとするユーザインターフェース (※2) の研究が認められ、IJARC 設立時に選出された3名の研究者の中の 1 人に抜擢されました。
 IJARC のディレクターを務める東京大学大学院情報学環の池内克史教授は語ります。「私たちは人間とコンピュータの相互関係、特に、お年寄りがコンピュータを使いこなせるようになるような最新技術に注目しています。IJARC を通じて若手研究者への研究資金を拠出できるようになり、彼らがその資金を使って目覚しい成果を上げているのは、大変喜ばしいことです」日本の学術界では、この分野でも研究活動が熱心に行われています。研究費は主に国から拠出されますが、最近では産業界も支援を始めています。しかしながら、大企業になればなるほど、研究成果の先にある製品ありきの、かつ短期に成果が見込まれる分野への支援を行う傾向にあります。他方、研究者が求める研究には、10 年を超えるような長期のプロジェクトが多く、なかなかニーズはマッチしません。
「学術界との連携強化を進めていたマイクロソフトはこれを、自社と日本にとって、技術革新をもたらすチャンスだと捉え、プロジェクトを開始するに至りました」と、MSR アジアのシニアマネージャーである和田肇は言います。プログラムにおいて、研究の成果は、商品への応用性ではなく、研究論文によって評価されます。これにより研究者は、実験など、研究テーマをより深く追究するための活動に専念できます。「IJARC のファンドは長期にわたる研究を支援します。研究に伴う商品化も目的の一部ではありますが、私たちの最終目的は技術革新を生み出すことです。一時的な利益だけを追求するような、視野の狭い支援は行いません。マイクロソフトは特定の製品といった具体的な成果物のみを期待してこの取り組みを行っているわけではないからです。日本のリーダーたちは皆、技術革新のために何らかの支援をしたいと考えています。マイクロソフトもそうした支援の一翼を担えれば幸いです」
■ 笑顔をインターフェース技術に
多くの人に使ってもらえるように、生活の中にあるものを活用することを思いついた   五十嵐助教授の最近のプロジェクトの説明を聞いていると、ユーザインターフェース技術に対する並々ならぬ熱意が伝わってきます。「コンピュータが私たちの生活の中に浸透していくに伴い、コンピュータとの相互作用を適切に行うための技術がますます重要になってきます」手に持っているクマのぬいぐるみと同様、人なつこい笑顔でそう語ります。「課題となるのは、生活の中にあるそうした機器を、シンプルで楽しいデザインにし、新しい技術に抵抗を感じてしまう方々にも、いかに心地よく使ってもらえるようにするかということです」そこで、ある程度目立つもので、かつ日常生活の一部として普段使われているものをリモコンに使用する、というアプローチを思いついたのです。五十嵐助教授は、ぬいぐるみを試作品に使うことに決めました。やわらかくて握りやすく、振り回しても安全な上、鮮やかな色はコンピュータも認識しやすいからです。さらに、ぬいぐるみの「かわいさ」は子どもから大人まで人気を集めやすいと考えたのです。またぬいぐるみをリモコンにするという斬新なアイデアはメディアの注目も集め、資金的な援助も得られるようになりました。
■ 日本の技術革新を推し進めるために
IJARCを通じて日本の研究成果を世界に発信したいと語る池内教授 IJARC では、日本を代表する研究者からなるアカデミックアドバイザリーコミッティ (顧問委員会) の委員とディレクターによって、学術的かつ戦略的な視点から研究プロジェクトを選定します。MSR の研究者がプロジェクトに配置され、研究のテーマや進め方について大学の研究者にアドバイスします。このように相互に発生する交流も池内教授がプロジェクトに興味をもった理由の一つです。「ああでもないこうでもないと議論を重ねることで、知識は共有されていくものなのです」池内教授は、IJARC を通じて日本と日本の研究成果を世界に発信する非常に良い機会だと考え、責任者への就任依頼を引き受けました。「アジアでは今や、中国を始めとした国々との競争が激しくなってきていることは周知の事実です。私たちはそうした状況下において、技術革新を少しでも促進できればと願っています。日本は島国ですので、他の国から隔離されている面もありますが、創造力を駆使してそうした隔離を補うことが出来ればすばらしいと思います。MSR と日本の学術界はこれまでほとんど交流がありませんでした 。IJARC が両者の架け橋となったのです」

 MSR アジアは設立以来アジアの学術界との関係強化に努めてきました。1999 年からは情報科学分野の研究促進を目的に、中国、オーストラリア、台湾などアジア各国の若手研究者の育成に力をいれており、これまで 30 を超える先端教育機関の160以上の若手研究者が MSRA フェローシップを受賞しています。マイクロソフトはこれまでの経験から、若手研究者の表彰といった域を超え、より深い関係を構築するために、企業としての次の貢献方法を模索してきました。和田はそうした中、新しい取り組みに挑戦したのです。「マイクロソフトは様々な企業市民活動に取り組んでいますが、IJARC のようなプロジェクトは他にありません。私たちは、研究者の方々に、単にプロジェクトを遂行するのではなく、研究にかける思いや情熱を追い求めて欲しいのです」和田は続けます。「日本には創造力あふれる方々がたくさんいます。そうした方々とマイクロソフトが協力し合い、お互いの強みを生かしていければいいと思います。IJARCはそうした関係を築くための信頼構築プロジェクトと言っても過言ではありません」

 2005 年 7 月 1 日、マイクロソフトの会長兼チーフソフトウェアアーキテクトであるビル・ゲイツが IJARC の設立セレモニーに出席しました。日本の大学関係者とマイクロソフトが連携していくことを表明し、自然言語処理 (※3) の開発及び音声認識、グラフィックス、そしてユーザインターフェースソフトウェアという 3 つの共同プロジェクトに、研究資金を拠出することを発表しました。ゲイツは、「今日のソフトウェアは、この先私たちが目にするであろうものに比べたらはるかに単純だと言えるでしょう」と述べました。「音声認識、視覚認識、人工知能による学習機能などは今はまだ夢の技術に過ぎません。せっかくの投資を製品開発まで結びつけることができない企業はたくさんありますが、私たちはそうした状況を変え、研究成果がもっと製品につながるようにすることで、技術革新のための好循環をつくりたいのです。そのためには、学術界と産業界双方にとってベストな連携方法を探っていく必要があると考えています」

MSRアジアでの会合の様子 和田はマイクロソフト本社で自然言語処理製品の研究開発を行った後、日本に戻り、池内教授ら著名な学者に IJARC 立ち上げのための協力を要請しました。初年度は和田らの知人を通じて 3 名の研究者を選出しましたが、2 年目からは 7 から 8 の応募枠を設け、研究企画書に基づく選考を行いました。2006 年 9 月 6 日に 3 回目のプログラムが発表される予定になっており、面接やプレゼンテーションによる選考を経て、2007 年 3 月 7 日に選考結果が発表されます。第 2 回プログラムでは約 20 の応募があり、8 つの企画が支援対象として選出されました。今年度は約 50 の応募を見込んでいます。「プロジェクトはまだ始まったばかりですが、既に予想を超える成果が得られていると思います」池内教授は驚きを隠しません。
■ 研究者同士のグローバルな交流を実現
 五十嵐助教授は第 1 回プロジェクトで「ぬいぐるみを使った視覚による動作相互反応」を研究しました。第 2 回には 2 つの研究で応募しました。「協力関係はとても大切です。マイクロソフトは世界最大のソフトウェア会社ですので、IJARC を通じて情報交換の場ができることはとても意義があります。先端技術に触れている方々の思いを知ることができるのが何よりすばらしいと思います」五十嵐助教授は研究そのものを追求する意義を強調する一方、その研究成果が何らかの形で「社会に役立つ」製品として応用されることも究極的な研究目的になる、と添えました。

IJARCを通じて世界中の研究者と情報交換ができることに意義を感じると語る五十嵐教授 2006 年度の共同研究では、人間とコンピュータの相互作用、特にテレビゲームとコンピュータグラフィックス、ペン入力とユーザインターフェース、音声及び自然言語認識といった領域に重点が置かれました。2007 年度は、コンピュータのセキュリティと信頼性、ハイパフォーマンスコンピューティング (HPC) 、Windows OS 技術、組み込み用途システム、といった領域が追加されます。研究者は米国ワシントン州のレッドモンド、もしくはアジアの様々な地域でMSR担当者と顔を合わせる予定です。五十嵐助教授は、IJARC が国際的な視野で展開していることを重要だと考えています。また産業界との連携という点でも評価していると語ります。「マイクロソフトは様々な形で私たちの研究を支援してくださっていますが、それらが最善の支援方法なのか、現段階で判断するのは難しいでしょう。しかし個人的には、マイクロソフトが持つ海外の研究者ネットワークに日本の研究者が触れられるのは非常に有意義であり、いずれ成果が出てくると考えています。また、これからは、政府だけでなく産業界からも研究資金を拠出してもらうために、研究者は自分の研究テーマをより深く練る必要が出てくるでしょう」そして五十嵐助教授はこう結びました。「今の私の願いは、研究成果がいつの日かマイクロソフトによって革新的な製品に応用され、世界中の人々に利用されるようになることです」
■ IJARC への期待
  IJARC は今年 8 つのプロジェクトを支援しており、来年は 10 に増やす予定です。池内教授は、10 年後には大学教授への資金援助ができるまでになればいい、と期待を膨らませます。今のところ、多くの研究者は IJARC を静観している状況です。和田は言います。
「私たちの調査によれば、IJARC のアプローチはたくさんの研究者を驚かせています。今はまだリスクかもしれませんが、十分リスクをとる価値のある取り組みだと私は思っています」



(※ 1) マイクロソフトが 1991 年に設立した、同社のコンピュータ科学研究機関。音声認識、ユーザインターフェースから自然言語処理など、幅広い分野の研究を全世界で行なっている。
(※ 2) ユーザーとコンピュータとの間で情報の受け渡しを行うものの総称。ユーザーに対する情報の表示様式や、情報を受け渡す仕組み、機器、ソフトウェアも含まれる。
(※ 3)自然言語は会話や文章で人間が普通に用いている言語を指す。自然言語処理はこれをコンピュータ上で処理すること。



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企業市民活動レポート

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レポート 2006

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