ウェブショップで障碍 (しょうがい) 者支援 - 清野一博さん

障碍者支援機器のウェブショップ 「コミュニショップ レッツ社外サイトへのリンク」 を経営する清野一博さんは、ユーザーサポートについて次のように語ります。「初心者の問合せには、マニュアルを読めばわかるものもあります。しかし、視覚障碍者の場合、テキストになっているマニュアルでも、その中から目的のページを探し出すのは気が遠くなる話ですし、わかりやすい記述になっているとも限りません。その苦労はわかりますから、平易な言葉に置き換えて答えています」実は、清野さんは事故によって脳の一部を損傷したことから四肢、視覚、発話に障碍が残り、無理が利かない身体です。そのような身体を押して起業した動機は、「何か人のためになることをしようと思ったとき、一番具体的にできることが、自分と同じように障碍を持つ人にパソコンを便利に使ってもらえるようにすることでした」とのこと。日本では、適切な支援がないために IT を使えず、得られるべき恩恵を得られないでいる障碍者が、まだ少なくありません。障碍ゆえの IT 導入の難しさも、利用して得られる便益の大きさも身をもって知る清野さんは、その人々を放っておけなかったのです。

IT 導入の困難を乗り越えて得たもの

清野一博さんの写真

清野さんは 1986年、高校3年生のときに事故で重症を負いました。寝たきりで指一本動かず、言葉一つ発せない状態が続き、半年後にやっとリハビリを始めることが可能になったというほどの重症でした。リハビリも長く苦しい道のりで、支えてくれた家族からの自立を考えられるようになるまでに、10年を要したと言います。

初めて IT に触れたのは、リハビリ時代の 90年代初頭。「パソコンは高価で難しくて自分には使えないもの」と思い込み、「トーキングエイド」という日本で有名な支援機器を購入しました。大きなキーで入力した文字を音声で出力するこの装置は、発話が困難な肢体不自由者の意思伝達装置として知られますが、清野さんは紙とペンの代わりに利用しました。「私の場合、何とか話すことはできるのですが、手が利かない、目がほとんど見えない。だから、字が書けない、読めない。そういう事情で、文字を音声で確認しながら書けるトーキングエイドがとても便利だったのです」しかし、当時のこの装置は記憶容量が少なく、手紙などを書きためると保存に困りました。そんなときに、かかりつけの作業療法士に勧められたのが、パソコンでした。

1994年、初めてパソコンを購入しましたが、当初はどうしたら使えるのかわからず、大変苦労しました。清野さんは、指一本で一つずつキー入力することは可能でした。目がほとんど見えませんが、キーボードはカラーシールを貼って色分けするという工夫で判別可能でした。問題は、入力した文字が読めないこと。清野さんも、彼にパソコンを勧めたリハビリの専門家ですらも、スクリーンリーダーの存在を知りませんでした。たまたま当時まだ非常に珍しかった全盲のパソコンユーザーの存在を人伝に聞き、その人を訪ねてみて、やっと「自分にも使える」という確信を得ました。しかし、必要なハード・ソフトがそろえばすぐ使えるというものでもありません。「中古のデスクトップを買ったのですが、最初のうちは、それを車に積んで、その全盲の方の家まで片道1時間かけて教えてもらいに行っていました」マニュアルが読めず、障碍者に教えてくれる教室やボランティアもなく、ネットから情報を得ることもまだできない──。そんな状況下では、こうする他なかったのです。

しかし、導入前後の数々の困難を乗り越えて、パソコン通信を使うまでになると、パソコンは当初の苦労に報いて余りある便益をもたらすようになりました。「障碍者や障碍に関わる人々が集まる掲示板や、障碍者用のフリーウェアが集まるライブラリなどをよく利用しました。こういうところから得た情報のおかげで、ずいぶん勉強になりましたし、便利になりました」そう語った清野さんは、次のようなメリットも付け加えました。「電子メールのおかげで、プライバシーを守ることもできるようになりました」手紙の場合、印刷して封筒に入れて出す作業も、届いた手紙を読むのも、家族の手助けが必要だったのです。それが要らなくなって得たものはプライバシーだけではありません。「見えない人が書く文章はどうしても誤字が多いですけど、この人には全然そういうところがありませんでした。しっかりした文章で、よく気持ちが伝わってきました」そう語るのは、妻の佳代子さん。実は、清野さんはパソコン通信のネット内での出会いから電子メールのやり取りを重ね、人生のパートナーを得たのでした。

教えられる側から教える側へ、そして起業へ

20世紀最後の数年、日本の視覚障碍者の情報環境は大きく変わりました。Windows 用のスクリーンリーダーが登場し、やがてホームページを読み上げる音声ブラウザも登場し、晴眼者と同時に得られる情報が飛躍的に増えはじめたのです。障碍者の IT 利用を促進するために、ソフトを含めた支援機器の購入を助成する制度も生まれました。そんな中、清野さんはネット内で人から教えられるだけでなく、自ら情報を発信して人に教えるまでになっていました。また近隣の自立生活センターから声をかけられて、パソコンを使った事務処理の仕事も得ていました。しかし、多くの障碍者は、パソコン導入時のハードルの高さのために、まだパソコンを利用できていませんでした。「これだけ環境が整ってきたのに、利用しなかったらもったいない」。そう思った清野さんは、ついに自分が障碍者支援機器の販売とサポートをビジネスとして立ち上げることを決意するに到ったのでした。

起業には、一つのソフトが決定的な役割を果たしました。「最初は店舗を構えて営業することも考えました。しかし、それは身体の負担を考えても経済的な負担を考えても、ちょっと無理でした。ちょうどその頃、視覚障碍者用のホームページ作成ソフトが発売されていることを知ったのです。『これだ』と思いました」2000年10月10日、 「コミュニショップ レッツ」 は開店しました。清野さんの起業は、ウェブショップという営業方法が誕生した時代だからこそ実現したことでした。

創業の志を今後も

コンピュータの前に居る清野一博さんの写真

その後の清野さんは、ショップの充実を図る一方、業務のデジタル化を進めています。たとえば、視覚の問題からも手の問題からも紙の取り扱いに手助けを必要とするため、ファックス送信はパソコンから行えるようにしました。しかし、書類を紙で作成して送らなければならない場合も多く、同様に紙で送られてくる場合も多いのが現状です。清野さんは、「直筆で記入することにこだわる必要がないものは、インターネットを利用してもらえるように働きかけていきたい」と言います。それは、清野さんの仕事のためだけでなく、清野さんのような障碍を持つ人々の自立の幅が拡がる社会を作るための努力です。 「コミュニショップ レッツ」 の今後の取り組みについて問うた答えにも、そうした姿勢がうかがえました。「コミュニショップ レッツをはじめた動機の中には、『自分も含めた重度の障碍を持つ者が、いかにしてお金を稼いでいくか』という問題意識がありました。そこで今、新しいお客様をご紹介いただくと紹介料を払うような形で拡げていくことを検討しています。また、まだ勉強中ですが、ホームページでアフィリエイトもしたいと思っています。簡単に儲かるものではないと聞いていますが、重度の障碍者が幾分かでも収入を得ていく手段にはなることを期待して、まず自分でやってみてノウハウを紹介できたらと考えています」 「コミュニショップ レッツ」 のサイトを見ると、その店名は「みなさんと一緒に成長していく」という意味を込めたものだと説明されています。清野さんは、いまもこの創業の志を忘れずに前進を続けているのです。

最終更新日 : 2005年8月2日