厚生労働省が取りまとめた人口動態統計(概数)によると、わが国の出生数は 7 年連続で減少しており、2022 年には統計開始以降初めて 80 万人を下回りました。少子化は労働の担い手不足や地域社会の活力低下の要因となるため、人口の少ない地方への影響がより大きいとされています。
多くの地方自治体が危機感を持って子育て支援対策に乗り出すなか、静岡県島田市では Microsoft Power Apps と Microsoft Power Pages を活用した独自の子育て支援プラットフォーム「しまいく+(プラス)」を開発。子育て世代のニーズに応えると同時に、将来的な他分野への拡張を視野に入れた運用をおこなっています。
市民のニーズにより的確に応えられる子育て支援サービスを構想
島田市は静岡県中部に位置し、南アルプスを源流とする大井川の両岸に約 9 万 7000 人が暮らしています。日本有数の茶の生産地であり、江戸時代の情景を残す川越(かわごし)遺跡や SL 列車で有名な大井川鐵道など独自の文化や歴史を誇ります。同市では、2019 年に「市民サービス」「行政経営」「地域・産業」の 3 つの分野において DX に積極的に取り組む「島田市デジタル変革宣言」を発表。デジタルファーストの理念に基づいた変革を推進しています。
「子育てするなら島田市で」をスローガンとして、子育てしやすいまちづくりを目指し、さまざまな施策に取り組んだ結果、近年は子育て世帯の転入超過が続いている同市。しかし、社会課題である人口減少や少子化の波は確実に押し寄せており、さらなる対策が必要とされています。
「晩婚化や核家族化の進行、共働き世代の増加にともなう子育て環境の変化、子育て世帯のニーズの多様化は島田市の大きな課題です」と語るのは、島田市 市長戦略部 DX 推進課 DX 推進担当 係長の松井 邦晃氏。
これまで市民からは、“仕事があるので開庁時間内に手続きができない”“小さな子どもを連れて市役所まで行くのは大変”“市役所の Web サイトに掲載されている情報が多すぎて、どれが自分に必要なものなのかわからない”といった意見が寄せられていたといいます。
同市では、子育て中の親を対象とした「しまいく」というサイトを立ち上げて、子育てに関連するイベントや健診の情報を掲載するなど、一般的な広報はおこなっていましたが、市民の多様なニーズに対応できているとはいえませんでした。また、各部署からサービスをデジタル化したいという声も上がっていましたが、松井氏ら DX 推進課は、現状のものをデジタルに置き換えるだけでは真の DX とはいえず、サービスの質を向上させる必要があると考えていました。
「そこで、部署ごとに業務手続きをデジタル化するのではなく、すべての部署間の縦割りを取り払って、市民一人ひとりに最適化された情報を効率的に届けられるプラットフォームの構築プロジェクトを立ち上げました」(松井氏)。
部署の垣根を取り払い、自治体ならではの強みを活かしたプラットフォーム開発を目指す
しかしプロジェクト開始当初は、なかなか職員の理解を得られなかったと松井氏は振り返ります。「慣れたアナログなやり方を変えることへの心理的な抵抗や、デジタルへの切り替え時に発生する作業の重複。また、新しい作業の習熟にともなう業務量の増加に対して懸念を示す職員が多かったですね」(松井氏)
そこで、DX 推進課は関係部署と何度も話し合いを重ね、デジタル研修などを通して徐々に理解を広めていきました。さらに、市内の子育て世代にアンケートを実施し、そこから得られた要望をなるべくプラットフォームの機能に反映できるよう調整を重ねました。
こうして構想から約 2 年を経て 2022 年 3 月にリリースされたのが、子育て支援プラットフォーム「しまいく+(プラス)」です。
「しまいく+」は、島田市に住む妊娠期から 18 歳までの子を持つ親と、その家族を主な対象とする Web サイトです。マイナンバーカードと紐づけたユーザー認証をおこなうことで、島田市がすでに持っている住民情報を用いた One to One のやり取りが可能となります。
また、市役所の開庁時間外でも PC やスマートフォンから手続きや問い合わせができ、利用者のUI(ユーザー インターフェース)上は窓口がひとつに集約されているので、問い合わせ部署を検索する必要もありません。さらに、子どもの年齢や状況に合わせて利用メニューが自動で表示され、親だけでなく別世帯の祖父母といった家族まで子どもの情報を共有することが可能です。
「当初は民間企業で提供されている電子母子手帳のようなものを想定していたのですが、それでは保護者からの要望が多かった個人向けメニューの提供が実現できません。結果として、住民情報を所有している自治体ならではのサービスがつくれたと思っています」(松井氏)。
キーワードは「拡張性」。他分野への応用を念頭にシステムを構築
「しまいく+」の開発に際して重視したのは拡張性であり、「横断的な情報共有と、切れ目のない支援を実現するプラットフォームであること」を最も大切な要件と位置付けました。アプリではなく Web サイト仕様にしたのも、今後の拡張性を見越してのことです。
「いまは子育て支援が主な用途ですが、今後は防災や福祉などの分野にも拡張することを考えています。そうなると、アプリを改修するには工数もかかりますし、運用のために専門的な人材を用意しなければなりません。そう考えると Web での運用が現実的でした」と松井氏は語ります。
「島田市さまのご要望を受けて、サービスイン後のプラットフォームのスケールアップ、もしくはスケールアウトを考慮した設計にしました」と語るのは、本システムの構築を担当した、株式会社 静岡情報処理センター 公共ソリューション事業部システム部 マネージャーの居島 由尚氏です。同社では、島田市への提案に際して Microsoft Power Apps を開発ツールとして選定しました。居島氏はその理由をこう語ります。
「Power Apps のデータベースである Microsoft Dataverse が持つセキュリティ設計や豊富な連携性能、そして Office 365 や Microsoft Dynamics 365 とのデータ連係の容易さを重視しました。また、今後サービスの拡張によって利用者が大幅に増加したとしても、問題なく対応できるライセンス体系を持っている点も大きな魅力でした」(居島氏)。
UI 構築には Power Apps のWebサイト構築ツールである Microsoft Power Pages を使用。居島氏によると、ある程度標準化されたテンプレートが用意されていることから、ローコードで工数をかけずに構築できること、また今後追加予定である他分野向けサービスのWebサイト構築でも UI の統一感を保てることが Power Pages を採用した理由だといいます。
マイナンバーカードを活用してユーザビリティを向上、セキュリティにも注意を払う
「しまいく+」の特徴のひとつにマイナンバーカードによる認証機能があります。その部分を担当したのは、マイナンバーカードに特化したデジタルソリューションを提供する xID株式会社です。
「マイナンバーカードの普及は国が推進する方針でもあるため、自治体の DX 施策として親和性が高く、サービスの拡張フェーズにおいても有用な機能となるはずです」と認証機能にマイナンバーカードを活用するメリットについて語るのは xID 株式会社 執行役員 プロダクト開発部長の三浦 康司氏。
「マイナンバーカードはひとりにつき一枚しか支給されません。マイナンバーカードに紐づいたアカウントは真にユニークであることが担保されるわけですから、確実に本人確認ができる。他の ID プロバイダサービスとの大きな違いだと思います」(三浦氏)。
ただ、現状として市民が全員マイナンバーカードを取得しているわけではないため、「しまいく+」ではマイナンバーカードを所有していない市民向けのユーザー IDとパスワードによる認証と、マイナンバーカードを利用した認証の二種類を用意する必要がありました。
「当社はマイナンバーカードに関するソリューションに関してはほとんど知見がなかったので、少し不安はありました」という居島氏ですが、xID 社から提供された、マイクロソフトの製品と連携可能な API によって想定以上にスムーズに実装できたといいます。「マイナンバーカードとマイクロソフト製品の親和性を改めて実感しましたね」(居島氏)。
また、「しまいく+」は住民のデータを扱うため、万が一情報漏えいなどの問題が起きてしまった場合、その影響は計り知れません。居島氏は、セキュリティ対策には細心の注意を払ったといいます。
「しまいく+」では、パブリッククラウド側へは本人情報を含まない必要最低限の情報のみを置くこととし、アカウント発行の手続き時にはオンプレミスのサーバを介して安全に住民のデータ連携をおこなうように設計されています」(居島氏)。
こうしてリリースされた「しまいく+」。利用者は約 1 年の間に 1300 名を越えました。「アクセス数は当初想定した倍以上です」と松井氏。「利用状況を見ると早朝や深夜などの業務時間外のアクセスが多く、共働き世帯の方々には便利に使っていただけていると思います。実際に“市役所に行かなくてもいいのはありがたい”といった声も寄せられています」と、その効果に手応えを感じています。
「職員の働き方改革という視点でも、これまで個人宛てに通知を送るには印刷して郵送しなければなりませんでしたが、「しまいく+」を使えば画面上のワンアクションで済んでしまいますから、業務にかかる工数が削減できているはずです」(松井氏)。
一方で、“日中は電話をした方が早い”といった市民の声や、窓口の職員から使い勝手について意見が上がるなど、改善の余地はまだ多く残っていると松井氏は語ります。
「ただ、庁内から意見が出てくるのは、職員が進んで利用する視点に変わっているということですから、導入前の受け身だった意識が少しずつ変わってきているということだと思います」と前向きに捉えて、随時改善に取り組んでいます。
パートナーとともに順調に「しまいく+」の活用計画を進める島田市
「しまいく+」は、デジタル田園都市国家構想実現会議が開催した「令和 4 年度 夏の Digi 田(デジデン)甲子園」に静岡県一般市の部代表として出場し、インターネット投票で一般市実装部門の第 9 位に選ばれました。それ以来、他の自治体含めてさまざまな団体からの問い合わせが増えているそうです。松井氏は「同様の課題を感じている自治体の多さを実感しています。私たちの事例が参考になれば」と語ります。
また「しまいく+」の拡張性を活かした活用計画は順調に進んでおり、まず 2023 年度中に「しまいく+」の学校教育分野への拡張を予定しているとのこと。
「学校との連携の仕組みが実装できれば、児童クラブや保育園といった民間事業者との共同利用も視野に入ってきます。このプラットフォームは、他の分野でも利用できるよう汎用性が高い仕組みとしたため、今後は市民全体で広く利用できるよう、子育て以外の分野への利用範囲拡大を検討していきたいです。」と松井氏。現在あるサービスの拡充やユーザビリティの向上を継続しながら、将来的には各分野の手続き内容から得られたデータを連携させて活用していきたいと、展望を語ります。
この松井氏の展望に対して、「「しまいく+」の構築で得られたノウハウを応用し、ご支援させていただければ」と居島氏。三浦氏も「自治体という特殊な環境のなかで便利に使っていただけるサービスを提供していきたいです」と、強力なサポートを約束します。
大切なのは「市民のために」。必要とされるサービスを提供して「選ばれるまち」へ
現在島田市では、市民サービスだけでなく庁内手続きのデジタル化を進めています。「市民側の電子申請を紙で出力して部署間で回すフローをなくし、2023 年度中には入口から出口までデジタルで完結できるシステムを構築する予定です」(松井氏)。
また庁内の啓蒙施策の次のステップとして、デジタルについて学んだことをいかに自分たちの業務に落とし込んでいけるかを考えるワークショップも開催しています。
「自治体 DX では往々にして議論や検討が足りないままプロジェクトが進んでしまいがちですが、まずはどんな課題があり、何を市民が求めているのか。そしてそれを解決するためにデジタルをどのように活用できるのかを、時間をかけて考えることが大事だと思います」(松井氏)。
デジタルを活用した子育て支援から、暮らし全般の支援、さらには職員の働き方改革へとフェーズを拡大しつつある島田市。その根底にあるのは「市民のために」という目的意識でした。その目的を見失うことなく、信頼できるパートナーとともに着実に DX を推進している同市は、来るべき少子化時代を乗り越え、「市民に選ばれるまち」として発展し続けることでしょう。
“職員の働き方改革という視点でも、これまで個人宛てに通知を送るには印刷して郵送しなければなりませんでしたが、「しまいく+」を使えば画面上のワンアクションで済んでしまいますから、業務にかかる工数が削減できているはずです”
松井 邦晃 氏, 市長戦略部 DX 推進課 DX 推進担当 係長, 島田市
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